「みつまた」とは三又、分流の意、「わかれの淵」は真水と海水の汽水 域の意である。 この絵は隅田川左岸の小奈木川の河口から、清洲橋方向に 見た景色だろう。今ではさほど川幅のないところだが、この頃の 景観は、 閑な人間でなくてもすぐにも飛んでいきたいところだ。 享和4年大江戸鳥 瞰図を見ると、新大橋と永代橋の間に「ミツマタ」とある。三角の樹木の茂 った土地は、箱崎である。 明治40年東京鳥瞰図では、中洲町の表示があ り、水路を挟んで箱崎町、日本橋川に豊海橋が見える。今では中洲と箱崎 の 間の水路も、右岸側の水路も埋め立てられているが、首都高速の箱崎JCTは 水路の上に建てられたものだ。 清洲橋は昭和3年3月竣工。その名は深川清澄と日本橋中洲から名付けら れた。男性的な永代橋に対して、女性的 な橋としても対比されるが、その製 作は永代橋と併せて「祖父さん先輩たち」の仕事である。 この付近の隅田川岸は遊歩道が整備され、散歩に最適な場所になっている おり、昼食をとっている人も目立つ。 かっての芭蕉庵も川岸にあったのだろ う。芭蕉はここから奥の細道に旅立った。北斎の富嶽三十六景絵に「万年橋 下」が あるが、その万年橋もここにある。これも同時期の「祖父さん先輩た ち」の仕事だ。
豊海橋 芭蕉庵 万年橋 *みつまたわかれの淵 写真集*