隅田川の中流部の浅草付近は浅草川と呼ばれていた。絵には屋根船、
上から松が被っている。屋根船には緑の簾が懸かっているだけだが、人
文社発行の「広重の大江戸名所百景散歩」の絵では、行燈の光に髷の女
の影が簾に透けて見える。このページの絵はそれがなく、艶にとぼしい
のが残念。現在も蔵前と呼ばれる地域には、隅田川に直角に8本の堀割
が掘られ、「浅草御蔵」と呼ばれた扶持米倉庫が建てられていた。その
中央の川沿いに首尾の松があり、暮五ツ頃、その下に柳橋の船宿から出
た屋根船がもやっている。粋が大事な江戸名所であれば、女連れの連想
されない艶に乏しい屋根船の絵では人気はでない。
 大岡忠相の時代(1724)に、蔵米を旗本・御家人に支給する手続きを1
09名の札差に公認して発足した。手数料は100俵につき金1分(1
/4両)、俸禄米を担保に所謂「消費者金融」、御家人はサラ金地獄に
陥るも、抜け出る術はない。一方札差は巨万の富を築き、芸者遊びはお
手のもの。柳橋は蔵前の南側、天保の改革(1841)で深川の芸者が移り、
花街が形成された。薩長の野暮は新橋、江戸の粋は柳橋とはいえ、権力
の行方で柳橋は劣勢になり、平成に入って料亭は消えた。







    浅草御蔵碑      厩橋       柳橋   
                *浅草川 首尾の松 御厩河岸 写真集*